14.kyuusai

 僕が吸血鬼になって、初めて教わったこと。それは「無暗に吸血してはいけない」ということだった。
 彼曰く、ベテラン吸血鬼が初めに教えるのはいつもそのことだと言う。言われた当初、僕はそれが理解できなくて彼に反発したのだけれど、今となってはその理屈も彼ら、いや僕らにとっては当然過ぎることだった。
「吸血鬼は死なないのではない。既に死んだものがそれ以上死ぬことが無いだけだ」
 彼は自分のことを死に損ないのゾンビだと言った。彼は今まであったどんな人間よりも賢く、気高い存在で、なりたて吸血鬼の僕からすれば雲上人に他ならなかったのにだ。
「食物連鎖のピラミッドってあるだろ。その頂点に立ってるのは間違いなく人間だ」
「では僕たち吸血鬼はどこにいるのでしょう?」
「さあ? バクテリアの下くらいじゃないか」
 まさかとその時の僕は思ったのだが、実際は冗談めいた彼の答えもさほど間違ってはいなかったのだと思う。僕たちは食物連鎖のピラミッドから外れた存在。絶対的な力を持ちながら、自らの手では生存することも殖えることも出来ない不完全な種族なのだ。
「どうしても、人間を襲いたくなったらどうしたらいいですか?」
「そうだな。まだ理性が残っていて、その質問を出来る段階であったらまだ問題ない。みんなと一緒にふもとの村まで行こう。そんで眠ってる女の子にそっとキスしてくる。それで一月は持つはずさ」
「もし、理性が残ってなかったら?」
「そのときはまず君の顔の形が変わるくらいにぶん殴るさ。んで気絶してる間にちょっぴりだけ血を飲ませてやる」
 いつも冗談めかして言う彼だったけれど、その答えはいつも正しかった。彼は下手に村を襲撃すれば、村はすぐに壊滅してしまうし、人間が吸血鬼狩りを始めることも知っていた。
「人間は私たちのことを鬼と呼び、恐れるけれど……実際はそうじゃない。ちょっぴり頭が良い蚊みたいなもんだよ。私たちは人間に生かされている。仮に人間が襲ってきたとしても、それに抵抗しちゃだめさ。なんせ私たちは蚊なんだから、潰されておしまい」
 彼が教えてくれたことは、吸血鬼としての僕をではなく、あくまで個の存在としての僕を大きく変えた。僕は彼を尊敬し、吸血鬼の掟を固く守って生活した。目立たず、誇らず、ただ夜の空気のように生き、日々を過ごしていた。

 ある日の夕方。聞きなれない音で目を覚ます。静寂をかき消すそれは銃声。興奮した男たちの喧騒。何が起こったのか分からずに目を擦ると、見知らぬ男がノックもなしに僕の部屋へ押し入ってきた。
「一体、何のつもりですか? 僕は金目のものなど持ってはいません」
「ここにも吸血鬼がいたぞ」
 寝起きの僕に向けられたのは大きな猟銃。虚空のように空いた銃口から覗いていたのは銀の弾丸。引き金にかけられた人差し指は軽く曲がり、ほんの少しでも動けば僕の人生に幕を引いてしまいそうだった。
「僕を殺すんですか?」
 男は何も答えずに僕の眉間を凝視している。獣のように荒い吐息を吐きだす彼の頬に赤黒いあざのようなものがあることに気付いた。続けて胸に、袖に、膝下に大量の何かが付着していることに気付く。
「その血は……もしかして」
 男は最後まで僕の問いに答えることはなく、代わりに引き金に掛けた指に力を入れていく。ああ、僕は死ぬのか。蚊のように、何の感慨も無く、ただ目障りだからという理由で。
 目を閉じ、自分の人生を思い起こす。彼も最後まで抵抗しなかったのだろうか。彼女は悪態を吐きながら死んだのだろうか。死んだら僕たちはどこに行くのだろうか。……僕たちは何のために生まれて来たのだろうか。
 破裂するような短い死の音。でもそれは僕に向けられた猟銃からではなく、部屋の外で響いていた。僕を狙っていた男の後ろで、声無く、初めからそうあるべきだったとでも言うように倒れ伏す死体。吸血鬼の集落の長がそこに倒れていた。
「命拾いしたな」
「……」
 何故か殺されること無く、吸血鬼の力を封じる枷を僕の手にはめる男。なぜ、あの時の僕は絶叫をあげなかったのだろう。なぜ、彼の仇を討とうとしなかったのだろう。死ぬことが定めだと悟っていたからか。それとも、僕がどうしようもなく弱かったからだろうか。

*

 浅い眠りの中、昔のことを思い出していた。僕が禁域に連れてこられる前のこと。優しかった彼はいわれのない罪で殺され、塵になった。仲間の衣服と血が点在する集落の中を僕は言われるままに歩き、軍服の男に従った。
 魂の抜け殻になった僕は檻に入れられ、馬車の荷台に転がされた。「潰されておしまい」彼の言っていた言葉だけが頭の中をぐるぐると廻って、僕を苛んでいたことを良く覚えている。
 あの時に僕も彼と一緒に灰になればよかった。このまま何も考えず、朽ちて逝けばいい。その先に何が待っているとしても、こんな思いをするために生かされるくらいなら永久の闇の中に落ちていきたい。
「クロス」
 耳元でささやかれた名前。銀の枷がはめられていた部分に、確かな体温を持った何かが触れる。それは手首を伝い、手のひらに。初め重ねられるようにして乗っていたそれは、遠のく僕を引きよせるようにして強く手を握った。
「お父さん……」
 そうあって欲しいと願うような、小さな声。小さな手のひらが僕の髪に触れ、優しく撫でる。顔の近くで何か良い匂いがした。甘く、温かいミルクのような香り。
「クロス。私、頑張ったの……」
 誰の声だろう。女の子の声が聞こえて来る。彼女は涙と嗚咽で声を詰まらせながらも、返事をしない僕へ必死に話しかけていた。
「でも、ダメだった。クロスがいないと、ダメなの」
 ぽたり、ぽたりと落ちる涙。それは僕の頬を伝って落ち、まるで僕が泣いたかのようになる。
「お願い。目を覚まして」
 心からの願い。僕の手を握る力が強くなり、それと同時に匂いがずっと近くなる。僕の顔に抱くようにして、彼女は泣いていた。少しずつ明度を落としていく意識の中、嗚咽を堪えるその姿を愛しいと思った。
「雪子……?」
 枯れ切った喉から紡がれた、ただそれだけの言葉。僕にとって特別な意味を持つその言葉が、重い瞼を上げるためにほんの少しだけ力添えをしてくれる。
「クロスっ」
 不鮮明な視界いっぱいに映し出された少女の顔。彼女は両目いっぱいに涙を湛え、僕に覆いかぶさるようにして抱きついて来る。
「雪子、くるしいよ」
 寝たまま鼻と口を塞がれ、彼女の匂いだけが僕を包み込む。細い首と丸みを帯びた肩を見て、初めて会った頃よりも雪子はずっと成長したんだなと実感した。
 雪子は僕の息が出来ないことに気付くと、涙を拭いて袖でごしごしと拭いて、あどけない笑顔を見せる。目の端が擦れて白い肌が少しだけ桃色に染まっていた。
「ごめん、嬉しかったから。もう、このまま起きなかったらどうしようって」
「そうか。ごめんな」
 目だけで笑い、雪子を元気づける。もうあまり動かない身体。正直、雪子が呼び戻してくれなければ、逝っていたかもしれない。それほど、僕の身体は弱っていた。
 雪子はそれだけの動作で僕が弱り切っていることを見抜いたらしく、悲しい顔をする。けれど、ほんの少し間をおいて彼女はこう口にした。
「クロス。私ね、勉強したの。クロスが元気になる方法」
「僕は元気だよ。雪子がいてくれれば、それだけで」
 目を見開き、驚いたように僕を見ていた雪子の頬にぽっと朱が差す。その拍子に何かを言おうとしていたのが喉につかえてしまったらしい。彼女は雑念を振り払うように頭を振り、吐きつけるように言った。
「ウソツキ。このままほっといたらクロスが死んじゃうことくらい、私にだってわかるよ」
「ばれたか」
 笑ってごまかそうとするも、雪子は本気だった。それでも僕は、このまま死んでしまうとしても、雪子が傍にいてくれればそれでいいと思っていた。しかし、雪子の考えは違っていた。
 雪子はベッドに膝立ちで立つと、おもむろにワンピースの肩ひもを外し始める。続けて背中のボタンを取り、下着一枚の姿になった。成長途中の身体が布一枚の下でわずかに自己主張している。
「雪子。僕は君にそんな破廉恥なことを教えたつもりは……まさか、サキュバスの奴」
「違うよ。私は……クロスに元気になって欲しいから」
 ほとんど裸に近い状態になった雪子は白い肌を羞恥で上気させながらも、確固たる意志で動けない僕の上で馬乗りの状態になる。ちょうど僕の腹の上あたりに熱い肌の感触が伝わってきていた。
「雪子、ここは落ち着いて」
「落ち着いてるもん」
 両目を潤ませながらそう言いきる雪子。彼女は唇と唇が触れ合うような距離まで顔を近づけ、僕のことを見つめる。そして、それに満足すると彼女は何も言わず白い首筋を僕の唇にあてがった。
「クロス、私の血を吸って」
「嫌だ」
 即座にそう答える。吸血鬼である僕が人間の少女と生活していて、そのことを考えないはずがない。だからこそ、僕は決めていた。何があっても、愛しい娘の血を吸うことはしないと。
「雪女の血だから嫌なの?」
「違う」
「じゃあ吸って。お願い。クロスに死んで欲しくないの」
 哀願するような雪子の声。たったそれだけのことで揺らぐ心の弱さを自ら呪った。もう既に本能と理性が均衡している。据膳喰わぬはなんとやらというが、こんな状況は望むべきではない。
 僕は動かない身体に鞭打ち、最後の力で腕だけを動かすことに成功する。そして、そのまま雪子をぎゅっと抱きしめた。
「僕は君を殺してしまう。初めて吸血した時、自分を抑えきれなかった。多分、今回も同じことになる。そんなのは死んでもごめんだ」
 雪子の身体が小さく震え、堅くなる。緊張と怯えが入り混じった匂いがした。吸血鬼の僕にとっては気が狂いそうになる匂いだ。もう、限界は近かった。犬歯が鋭さを増し、全身の神経が目の前の少女にだけ集中しているのが良くわかる。頼む、逃げてくれと心の底から願った。
 雪子の震える手が、僕の背中に回り、再度押し当てるように僕の唇へその白い首筋を預けて来る。
「クロス、私ね。クロスになら殺されても良いよ。だって、クロスがいない世界で生きてたって意味ないから。死ぬのだって怖くないよ」
 ごめん。胸の内でそれだけを告げ、彼女の首筋を舐めるようにして鋭い歯を立てる。理性を押しのけて本能が動いた。僕の舌が雪子に触れた瞬間、彼女の身体が小さく震える。そして、歯が刺さった直後、僕を掴む力が強くなった。
「クロス……吸って」
 熱く、濃い血液が口内を満たす。雪子は血を吸われる度、小さく痙攣した。吸血鬼は吸血行為の際、相手が逃げ出さないように強烈な快楽物質を送りこむ。それは僕の意識とは関係なく行われ、愛娘の雪子に対しても変わることなく快楽を送りこんでいた。
「なんかヘンだよっ……身体が熱くて、ムズムズする」
 雪子の声が耳に届き、彼女の血液を嚥下する。その直後、僕の太ももの辺りが熱い何かで濡れていることに気付いた。何度も繰り返し痙攣する雪子の身体。その眼は快楽に蕩けていて、無意識に腰のあたりを小刻みに動かしていた。
「あうっ、きちゃう……ダメっ」
 ぎゅうっと渾身の力で背中を握られる。きゅうと鳴くような声で雪子はイっていた。小さな体を駆け巡る快楽物質は瞬く間に彼女を絶頂まで押し上げたのだ。じわりと洪水のように溢れ出る愛液が彼女のショーツを濡らし、強過ぎる刺激に雪子は身体をヒクヒクと震わせながら失禁までしていた。
 かくいう僕も娘と知っていながら、その姿に興奮を隠せずいた。僕の息子は自身の牙と同じくらい鋭くそそり立ち、幼い身体を持ちあげるように押し当てている。抑えきれない欲望が我が子を犯せと主張していた。
だが、そんな変態的な性癖がまさかこんな仕事をするとは全くもって思わなかった。
「うおおおおっ!!」
 獣のような声を上げ、幼子に襲いかかる自分の身体。その変態心からの行動によって、雪子の首に刺さっていた牙が抜け、吸血行為が結果的に止まった。吸血によって生命に支障が出ないぎりぎりのタイミング。全くもって幸運だ。あとは未だ快楽の余韻から逃れられずいる娘を……。
「あびばッ!?」
 ケダモノの如く雪子に襲いかかった僕の右頬にハイヒールで尖ったトゥキックが入る。吹き飛ばされ、机に後頭部を強打し正気に戻った頃には、目の前で鬼の形相をしている朔乃が仁王立ちしていた。

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